FX自動売買
禁断のケーキ
恋活
家電バーゲン

直線上に配置

マレーシア紀行

 


関東ハーモニカリーグ2007年10月発行(第39号)に掲載された記事です。

クロム工房 真田正二

200782日から9日間、マレーシアへ行ってきました。4日、5日に行われるハーモニカの国際大会、IPC 20072007 International Harmonica Carnival)に参加するのが主目的です。事前に大会の様子とかはよくわからず、また日程も、後半はイポー市での演奏とかペナン島観光があるらしいといった程度のあやふやな情報で出かけました。マレーシアは第2回アジア太平洋ハーモニカ大会が開かれた場所、張さんという代表が日本にもよくいらっしゃっている、故小坂井先生が日本とマレーシアの架け橋となってよく交流を果たしているといったような漠然とした情報しか持ち合わせません。

まああまりよくわからないので、今回は日本の愛好者に幅広く参加を呼びかけたわけではなく、したがって同行者は日本からは4名だけとなりました。斉藤寿孝先生は審査員、演奏者として参加。中国内モンゴル出身の古筝奏者ウリナリさんは演奏者で、かつ先生の伴奏者として参加。故小坂井先生の夫人はこれまでも何度も訪れたよしみで参加、私は定年後にまだどこにも旅行に行っていないからというので参加。コンテストもあるけれど、締め切りが終わっているので、オープン・ステージで演奏できればいいとのスタンスです。

暑い日本からマレーシア、クアラルンプールに到着。ガイドブックによればマレーシアは北緯1度から7度に位置する、と言うことは熱帯な訳ですね、どんなに暑いところだろうと思っていましたが到着して感じたのは、「それほどでも」。湿気が日本ほどはすごくないようなのです。張さんの出迎えがあり、他の国の方とも合流して、張さんの家の近くにあると言うフラミンゴ・ホテルで第一夜を明かしました。ここでの驚きは、浴槽に水を入れると少し茶色いのです。水事情はよくないようです。さて、翌朝がまた驚きで始まりました。朝7時なのにまだ暗いのです。この理由もよーく考えてみたのですが、マレーシアは東経100度から119度に横に広がっており、その中で標準時を一つだけ採用しているために、西に位置するクアラルンプールではまだ太陽が昇ってこないのです。


さて、市内観光などしながらハーモニカ大会の会場となるゲンティン高原に移動。バスで1時間半ほどの距離なのですが、なんとここは海抜2,000mの山の上。気温は年間を通じて14℃〜20℃、半袖しか用意していない私は、熱帯だと言うのにずっと寒い思いをしました。山の頂上にアミューズメント・パークがあり、それを同系列の4つのホテルが取り囲み、中にはカジノがあります。週末に着いたのですごい混雑ぶり。ここはイスラム圏なので、真っ黒な民族衣装で目だけ出したアラブの女性も数多く見かけました。そんな女性の連れの男性は必ずといっていいほど女性と手を繋いでいます。手を離すと別の女性と間違えてしまうからではないかと思ってしまいました。宿泊したホテルはゲンティン・ホテル、客室数6,118室は世界一なのだとルーム・キーのICカードに書いてあります。外観の塗装は℃派手(写真)で、会場はハイランド・ホテルのインターナショナル・ショールーム。その間はスカイウェイと呼ぶエレーベータ群で結ばれているのですが20分もかかり、忘れ物をしたときには大変でした。



翌日から会場で2日間にわたり、コンテスト、オープン・ステージ、歓迎演奏会、ファイナル・グランプリの演奏会、受賞式など、まあ、国際大会でよく見られるメニューが並びました。日本からの参加者がいないコンテストにはあまり関心がありませんでした。オープン・ステージは国ごとのエントリとなっていたらしく、日本枠で20分あったのですが参加者は私一人なので4曲演奏させてもらいました。カラオケ伴奏で、日本ではMDが主流ですが、ここにはありません。これはドイツでも経験したことでした。で、持ち込んだノートPCからUSBメモリ経由でPA担当のPCMIDIファイルを移し、事なきを得ました。

今回の色んな演奏で、エンターテイメント性が随分高まったなと感じました。ステージにアクションを取り入れるマレーシア・チーム。踊り子を登場させたり指揮者が前を向いてソロを取るシンガポール・チーム、大掛かりなマジックを演奏の合間に見せる台湾チーム。なんかじみコンのお株を奪われたようでした。日本でのステージも変わらねばならぬなと思ったことでした。




さて、7日はイポー市での演奏。観光も楽しみながら夕方宿泊施設のシュエン・ホテルにつくと、そこの2階のホールが演奏会場でした。張さんの経営する和諧管理(Harmony Management)という会社のスタッフがPAの準備などしています。メンバーに2人日本語を話せる娘さんがいて、連絡が楽でした。一人は張さんの次女です。音楽イベントの主催や支援をする会社なのだそうです。ここでは、中国、韓国、香港、米国の奏者、それに斉藤先生やウリナリさんに混じって私も1曲演奏させていただきました。観客席は地元のお客さんで満員、演奏後にウリナリさんがお客さんと記念撮影したりお話したりしましたが、チベットの方などがいて驚きました。


8日はペナン島観光、のはずだったのですがイポー市とペナン島の中間のタイピン市で観光バスに乗用車が接触事故。すぐパトカーが現れたのには驚きました。携帯文化ですかね。ところがタイピンの公園で一行を下ろして運転手とバスは事情聴取に警察へ出頭。炎天下の公園で3時間も待たされてしまいました。自転車で通りかかったマレー系の人が我々を見て、日本人はいるかと聞いてきます。手を挙げると、1kmほど離れたところに日本軍がやってきた記念碑がある、ぜひ見に来いと言います。付き合って見に行きました(写真)。前に「精神不死」、後ろに「Our glory is dead.」の英語、左にアラビア語、右にヒンズー後がありましたが意味はわかりません。雰囲気からして実に親日的なのです。そういえばイポーのホテルのロビーに飾ってあったのは日本の海軍旗、壁には英軍が日本軍に降伏している写真が貼ってありました。今年はマレーシア独立50年、その独立にはアジアの日本がヨーロッパの国を一時的にせよ破ったという事実が彼の国を勇気付けたのが一因であったとか。中国、韓国の事情とは随分違うのだと言うことを今回の旅で改めて認識しました。


9日には張さん達と中華のシーフードの昼食を楽しみ、夜の便で帰国。その後の数日間の日本の暑かったこと、暑かったこと。どっちが熱帯なのだろうと思ったことでした。



トップ・ページ・アイコン
トップページへもどる

お話へもどる

直線上に配置

©copy right 2007 Shoji Sanada, All rights reserved