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アメリカのハーモニカ教室

                 アメリカのハーモニカ教室

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フレンドタウン8号(1994年12月)に掲載。

 ミネソタ州ミネアポリスに2年間出張した後半(平成になった頃)、息子の受験で家族は帰国してしまい、単身となりました。ヒマなので向こうの公民館活動の案内を眺めていると、ハーモニカ教室の募集がありました。
 1回目は応募者が少なくお流れ。3ヶ月後の冬のコースにようやく参加できました。
 会費は3ヶ月分18ドルと超安(先生には市の補助があるらしい)、楽器はクロマチック・ハーモニカです。生徒10人位は私以外は初心者ですので、本当に初歩の初歩からのコースです。70歳を超えているおばあさんのグループと近づきになり、「ユーは吹けるのにどうして受けるのだ。」と何度も聞かれました。「家族が帰国してヒマなのも理由だけど、先生(ジャック・ベーコンさん)のビブラートが素晴らしく、通い続けているんだ。」と答えておきましたが、その頃私はまだお腹のビブラートができていなく、本当に習得したいと思ったのです。
 先生に直接聞いても、あんまり意識しているのではなく無意識にビブラートがかかるようで、困っていましたが、「ジェリー(・ムラッドのこと)はこう教えるらしい。」といって汽車の真似のようなことを教えてくれました。当然それだけでは習得できませんでした。残念.
 週1回で3ヶ月間5線譜の読み方や吹き吸い、#やbのボタンの使い方など教わり、練習曲はアメージング・グレースのようなスローな曲を数曲、最後の回には1人ずつの発表会をしました。
 例のおばあちゃんグループと動機などしゃべっていると、とにかく何でも挑戦するんだという意気込みにはすごいものがありました。誰々はピアノがうまいというので、会場(小学校の音楽室)のピアノを弾いてもらったところ、歩くのもやっとなのにこれが何と、ブギウギのすごいのを楽々と弾くんですね。私は、日米の文化の違いというものをつくづく感じました。
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 教室で使うクロモニカについて面白い話があります。ホーナーの3オクターブの新品を買わせるのは高すぎるので、先生が中古品を売っている店を紹介してくれるのです。
 私はてっきりお店かと思って車で直接、予約もなしに買いに行ったところ、これが普通の住宅だったので途方に暮れてしまいました。それでも折角来たのだからとベルを押すと、快く地下室に案内してくれました。
 話を聞いてみると、主人のディック・ガードナーさんはあのハーモニキャッツのバス奏者の1人であり、かつ日本の田中進さんのようにハーモニカ修理の全米第一人者でもあることがわかりました。
 それで、中古のハーモニカとの関係はというと、プロ奏者が吹きつぶしたクロモニカをディックさんにくれるので、それを修理して売ってくれるのだというのです。例えばリチャード・ヘイマンとかラリー・アドラーの吹いた中古が買えるというのです。雑談でヘイマンはA調のクロモニカしか使わないとか、ヘイマンのビブラートは喉を使うんだなど色々教えてくれました。ちなみに、それ以来、私も喉のビブラートができるようになりました。
 もう1種のクロモニカは、今は日本でも大分使われているヘリング社の初期モデルの修理品で、ブラジルでは乾燥不十分な木材を使って作るためよく台が割れ、不良品を彼に安くゆずってくれるのでそれを接着剤などで修理して売ってくれるものです。これは私も気に入って3オクターブと4オクターブを1本ずつ、45ドルと65ドルで購入して、今でも使っています。ヘリング社はその後、合板を使うことで割れることを防いでいるようです。
 その後も何度か訪ねて、ハーモニキャッツの古い演奏のテープ・コピーを貰ったり、修理方法を教えてもらうという楽しい経験も積むことができました。ハーモニキャッツで時々クロモニカ2本が使われているが、多重録音なのかと聞いたところ、ピートというのがいるのだということでしたが、先日ピート・ピーターソンが来日して4年振りにその話に納得したものでした。
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フレンドタウン9号(1995年6月)に掲載。

 ミネソタ州ミネアポリスに出張中、公民館のハーモニカ教室に参加していた話の続きです。先生(ジャック・ベーコンさん)が、地域のハーモニカ・ソサエティーを主催しているので、練習日があるから来てみたらと言ってくれたので、地図を頼りに行ってきました。稚内と同緯度なので冬はとても寒いのです。様子がわからないので現地に着いてもしばらく車の中で待機していました。すると、長い箱をかかえた数人の人が建物に入っていきます。そのうち、先生が入っていくのが見えたので私も中に入りました。すぐ紹介してもらい、握手攻めにあいました。
 周りを見ると、先程の長い箱の中身はコード・ハーモニカでした。コードが3本も揃ったのをみたのは、私の生涯で初めてだったのでとても驚きました(今はオムニバスでも4本見られる)。ハーモニキャッツのディック・ガードナーさんが何か吹いてみろというので、ハーモニキャッツ・ナンバーの「センチメンタル・ジャーニー」を吹き始めると、ディックさんがバスを入れて来ます(暗譜している)。私が途中の難しい部分で立ち往生しても、バスだけ最後まで吹き続けます。
 「マイッタ。」
 「他にできるのはないか。」
というので、私の楽譜集を見せたところ、私のはレコードから採譜したものでグリッサンド的に流しているところもすべて音採りして書いてあったのですが、ディックさんは面白がって、皆に見せびらかします。曰く
 「ジェリー(・ムラッドのこと)もこんなに書いていないよ。」
とのこと。オリジネータは適当に吹いているらしい。
 さて、4月にコンサートがあるとかで練習が始まりました。私の帰国日の4日後なので出演はあきらめましたが、今でも残念に思っています。曲目は「ナイト・トレイン」で、間にとても素敵なアドリブが入ります。練習後、アドリブをやった人に、
 「感動しました。」
と伝えましたところ、彼(アラン・ウッドさん)は大変照れて、
 「実は私は楽譜は読めないんだ。」
というので、これまたビックリしてしまいました。アドリブのところだけ吹いている。
 ちなみに、私のは譜に書かないとダメで、本当にアドリブしているわけではないのです。常々そこまで到達したいとは思っているのですが。
 10ホールも巧みで、チャーリー・マッコイとそっくりに吹けるようなのだけれど、楽譜を読めないとは、マイッタマイッタ。
 アドリブはすごかったけれど、バンド全体のレベルは今のオムニバスぐらいでしょうか。それほどすごいとは思いませんでした。聞いてみると、結構初心者が混じっていて、レベルを下げているようでした。指導者は先生で、後日、教室でコンサートのチケットを売っていました。
 教室の話に戻すと、先生の模範演奏を中々やってくれません。でも最後の日に、デトロイトの国際フェスティバルで、先生がカラオケをバックに吹いているビデオ・テープを見せてくれました。曲目は「キャラバン」で、当然のことアドリブをバンバンやっていました。
 「ウーン、アメリカ人はすごい。」
 最後の回に、生徒の発表会がありました。初心者の方たちは、教室で習ったスローな曲をなんとか吹きました。私の番が来たので、アルベール・レズネー(アルバート・ライスナー)作曲の「チャルダッシュ・インターメッツオ」を吹きました。この曲は派手なので、今、ハミングバードの持ち曲にしようと猛特訓中です、乞うご期待。当時は1人で吹きました。
 最後の練習の後、おばあちゃんのグループの人がピザ屋さんをやっていて、皆を店に招待してくれました。大いに話して食べて、再会を誓ったのですが、その後ミネソタへの出張の機会が訪れません。あの夜、帰りの道は雨が降った後、零下10数度まで気温が下がったので、氷がツルツル。怖かったのを覚えています。
 今回の横浜の国際フェスティバルで、先生のジャックさんやディックさんと会えたらいいなと淡い期待を抱いています。

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フレンドタウン10号(1996年4月)に掲載。

 ミネソタ州ミネアポリス出張中の話が続きます。公民館での教室に参加するかたわら、休日に新聞の隅っこを拾い読みしていると、
 「ハーモニカ教えます。ダイアトニック、クロマチック。」
という5行広告が目に止まりました。あ、そうだ。ここはアメリカなんだ。ブルースの本場なんだと急に気がつきました。計5年もいたのに、なぜかそれまで考えてもみませんでした。大学を出た頃、ジョン・メイオールのブルース・ハープが好きでよく真似をしていましたが、本格的に習ったことはありませんでした。よし、クロマチックはいいからここは1つ10ホールでブルースを習ってみようかと、半日程考えた後(電話をかける決心をするためにそれ位かかる。情けないですね−。)ついに電話をかけました。
 「ハロー、ドゥユーティーチハーモニカ?」
 「オー、ヤー。」
 「アイライクトゥスタディダイアトニックハーモニカ、アイアムジャパニーズパーソン。」
とかなんとか会話が始まって、音楽学校と自宅学習の2つがあり、自宅の方がじっくり教えられるとわかりましたが、平日の昼しかやっていないとのこと。会社を休むわけにもいかないので、音楽学校を訪問する約束をして電話を切りました。車の嫌いな私のこと、日本ではいまだに1度もハンドルを握ったことがない位ですから、ダウンタウンにある音楽学校を探して行くのは生命がけという感じで次の月曜の夜、出かけてみました。
 行ってみると音楽学校とはいうものの、ダウンタウンのはずれの一軒屋にすぎず、しかし中には事務所の他に6つ程教室があり、曜日と時間で先生が来る仕組みでした。10回コースで180ドル払い、しばらく待っていると若いお兄さんがやって来て、声から電話の主だということがわかりました。教室に入って早速ハーモニカの選び方で、ホーナーのゴールデン・メロディを勧められ、以後愛用しています。
 音出し、OK。ベンド。クロマチックでのベンドはできているのだが、どうも違う。先生が、「ドレミファソラシド」と早いフレーズを吹いてくれたので、ビックリしました。クロマチックのは同じ音の中で連続的な音下げと戻しをやるのだけれど、ダイアトニックでは、非連続的に、存在しない「ファ」、「ラ」が突然出る。以後、コースの半分はベンド方法に費やされることになりました。強く吸うと何とかベンドできる。しかし、先生は強さではないという。息の角度をちょっと変えれば、強く吸う必要はないのだと。

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フレンドタウン11号(1996年11月)に掲載。

 後半のコースでは、ブルース音階、トリル、ビブラートなど、こちらが質問するままに色々なテクニックを教えてくれました。2回の延長でアドリブ方法を教えてもらいました。でも、後半でもちっとも私のベンドはできていないのです。悩みを訴えると、何人かいる生徒の中でもお前が1番よいというので、他の人も苦労しているのがわかりました。帰国が迫っていたので、それ以上延長できずに最終回となりました。
 クロマチックも吹くのだろうといわれ、鈴木章治の「鈴懸けの径」のアドリブ部を数小節吹いたところ、いいフレーズだといってくれました。いいフレーズは誰にもよく響くみたい。もっといれば、クロマチックのアドリブもやれるんだがと残念がられ、私も残念でした。彼はチャーリー・パーカー並に吹けることを目標としているとのこと。私はその名前も知らず、帰国後、チャーリーはビバップ奏法の創始者であることを知って改めてびっくりしました。トゥーツと言わなかったのがすごい。
 課外には、先生が出演しているバーを訪ねたり(客は3人位しかいなかった)、たまたま訪ねた市でブルース・ハープのすごい演奏会(コーキー・シーゲル)を聞いたり、新聞から、近くにブルース・バーがあるのを知って聞きに行ったりと結構ブルース漬けの日々を送りました。
 帰国して6ヶ月程した頃、突然、ベンドができるようになっているのに気付きました。確かに強く吸う必要はないのです。そうなると、「ドレミファ」位、簡単なものです。ポジション奏法にも納得がいきました。ベンドで悩んでいる方、こんな例もありますので、あきらめずに半年間がんばって見ましょう。
 先生の名前を、クリントとしか思い出せず困っていたのですが、今回の横浜に来たアメリカ人(マクローリさんと一緒にいたブルースの達人)と話をしていて、私はミネソタのクリント何とかさんに習ったと言ったところ、しばらく考えていて、
 「クリント・フーバーか」
という。そうだそうだと6年振りに思い出しました。
 「うん、彼はいいプレーヤーだ。」
と言ってくれました。クロマチックもクリント並に吹けたらいいなと思うこの頃です。


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