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ミレニアム国際ハーモニカフェスティバル参戦記

 


 IHO(International Harmonica Organisation)主催ミレニアム国際ハーモニカ・フェスティバルが2000年9月7日(木)から10日(日)までの4日間、英国ボーンマスで開かれ、参加したので報告したい。
 まず、エントリの仕方であったが、インターネットのアドレスからたどると申し込み書を送付してくれた。ホテルの予約表もついている。コンテストに参加、ガラ・コンサートのディナーに参加、ホテルの希望はこれこれなどと記入して送り返すと、一週間位でエントリ完了とホテルの予約の通知が届いた。参加費用は、IHO会員になると85ポンドで会費を払っても一般会員の100ポンドより安くなる。(なお、1ポンドは165円位)他にコンテスト料10ポンド、ホテルの予約金25ポンドがかかり、これらはクレジット・カードで支払われた。
 6月に申し込んだところ、もっとも安いホテルが予約でき、一泊20ポンドとのこと。朝食付だからこれは安い。手紙が付いていて、他にも来る予定だが貴君が日本からの最初のエントリである。ついては国旗と民族衣装を用意してくれるとありがたいなどと書いてある。仕方ないので、デパートで国旗とちょっと派手な作務衣を買った。昔のオリンピックみたいだなとふと思う。また、IHO会員になったことで会誌が同封されていて、中に、ドイツがIHOを脱退して残念だなどと書いてある。なんと、戦前の国際情勢みたいではないか。
 そのうち、関西の吉村則次氏から手紙が届き、彼も申し込んだとのこと。早速電話でこちらの予定などを連絡し合う。森本先生も参加予定とのこと。でも、他にはあまり参加者がいないのではないかとのこと。
 さて、私の場合、会社に30年勤めたということで、会社からリフレッシュ休暇が二週間もらえた。また、夏休みを一週間くっつけると合計三週間の連続休暇となる。それで、8月23日に出発し、英国に入った。観光旅行をしながら、ホテルでコンペの曲をMDのカラオケに合わせて練習した。ところが、なんとすでにあがっているらしく、ちっとも音が決まらない。これには困ったが、毎朝観光に出かけるまでに2、3度MDで練習するうちに2週間もたつとさすがに音が安定するようになり、よしという気分になった。
 9月6日にいよいよ列車でボーンマスに入った。ところが、旅行にでかける前にフェスティバルの予定などを入れ忘れたので、明日の何時から何があるかさっぱりわからない。幸い吉村さんのホテル名がわかっているのでたずねてみた。すると、ありがたいことに在室しておられ、森本先生も同じホテルとのこと。他に複音簾藤さんの組、テンホールの足立さんがいるなどの情報が入り、森本先生と3人で夕食をとった。会場には、まだ何の看板も出ていないとのこと。あまり立派なフェスティバルを期待しない方がいいなどと話し合った。
 翌日10時にはさすがに登録の用意ができている。登録をすませると、小雑誌とガラ・コンサートのティケットが入った封筒が手渡され、小雑誌にしっかりコンテストの参加者の名前が載っている。ジュニア・クロマチック2名、同デュオ一組、同トリオ一組、同グループ1組、シニア・クロマチック11名、同ダイアトニック・ブルース/カントリ4名、同ダイアトニック・メロディック9名、同デュオ二組、同トリオ三組と小人数の参加である。予定表には、コンテスト、催し物、セミナー、ガラ・コンサート、食事の時間などが書いてある。コンテストの参加人数が少ないので、時間的な余裕はたっぷりありそう。この国では時間がゆっくり流れるねと吉村氏と話し合う。国旗を渡すと、ステージのある会場の二階席に各国国旗とともに日の丸が下がった。家庭用サイズなので、他の国の標準サイズより一回り小さい。いよいよ、教科書で習った昔のオリンピックみたいだなと思う。持ってきてよかったねと他の日本人からは感謝された。米英仏墺伊蘭日芬希波瑞、イスラエル、スエーデン、マレーシア、などの国旗が見える。脱退した独はない。
 以下、それぞれの催しものについて自分の体験を元に報告する。

コンテスト

 まず、コンテスト。それぞれの時間帯に滞り無く実施され、シニアのクロマチックが最後。一番参加者が多い。しかも順番は後ろから二番目。先に吉村さんがしっかりとベサメムーチョを決める。待っている間にどんどん神経質になってくるので、会場からでて深呼吸など。マレーシアの参加者も、私だってとっても神経質になっているといい、慰め合う。せっかく持ってきた作務衣を着る。デュオの簾藤組はしっかり和服で決めていたな。いよいよ順番がきて、何も説明しないのもと思い、作務衣の説明を英語でおこなった。曲目はトップ・オブ・ザ・ワールド。カラオケ・スタート。おや、あがっちゃいるけど、2週間の練習の成果か、よくスイングして最後の音が決まった。終わると、足がへなへなとなる。後で、森本先生が、よく乗っていたねといってくれ、また、何人かの外国人がとってもよかったと言ってくれる。最後のマレーシア人奏者の演奏はあまり耳に入らなかった。
 全演奏が終わって10分ほどすると、会長のJohn Waltonが何かしゃべり始めた。この人の英語は早口でわかりにくい。どうも各部門の優勝者を発表しているらしい。シニア・クロマチック部門は、最後に演奏したマレーシアのHo Chee Kinが40点中39点を獲得で優勝と聞こえた。私の名前はない。まあ、残念だったな。との思いだが、3位から発表するとかもっと劇的な演出があってもよかったのではないかと思った。自分の順位がわからないので、審査員の一人Jean Labreさん(日本によく来るあのフランス人副会長)に聞きに行く。Johnが発表しなかったら後で自分のデータを教えてあげるというので、納得した。
 当日の催しものが終わった時に、Johnから再度、翌日の最終コンテストにだれだれが出るので用意するようにとのアナウンスがあった。今回のコンテストは、各部門優勝者が、翌日最終コンテストで再演奏し、観客の評判も考慮にいれて、二十一世紀に向けてのハーモニカ・チャンピオンを決めるという趣向になっている。リストの中に、簾藤さんの名前があったような気がした。翌朝、簾藤さん達がそろっていたのでなにか昨日呼ばれていたようですよと告げると、本人への通達は一切なく、知らないし、ソロかデュオかもわからないという。これは大変だと本部に確認にいくと、デュオで優勝しているという。本人たちは知らないから、ハーモニカも持ってきていないし、着物も着ていない。大慌てで、ホテルまで取りに行くから順番は後回しにしてくれと頼んで、走って取りに帰られた。悪いことに日本人の中でももっとも会場に遠いホテルだ。大急ぎで戻ってくると出番直前で、着付けにあと3分もらった上で、舞台に上がると息切れしているのが観客にもわかる。多少のミスがあって、とにかく終わった。
 ソロ部門に入り、クロマチックのホーさんが吹いた。昨日は聞けていなかったのでじっくり聞いたが凄くうまく、ミスもない。最後に優勝者全員が壇上に上がり、Johnが、ひいきではなく音楽性に着目して拍手してくれといって一人々々頭の上に手をかざして観客の評判を聞いて行く。しかし、人数の多いオーストリア奏者に拍手が多い。やっぱりね。最終選考は、最終日に発表となった。グループもジャンルも無視して最優秀者を選ぶので、むつかしかったなどと講評があり、21世紀に向けてのハーモニカ・チャンピオンは、マレーシアのホーさんに決まった。各優勝者に賞状と盾が送られた。順位が聞きたい私は、再度JeanとJohnのところに聞きに行くと、インターネットで発表するとのこと、Jeanの編集する雑誌にも載せられるだろうとのことの説明を受け納得したが、9月22日現在インターネットにはまだ優勝者の名前しかない。Eメールでは、大会後Johnが病気になり病院通いしていて時間が取れず、待ってくれという。とにかく、デュオの簾藤さん、星さん、優勝おめでとう。

セミナー

 まず、Steve Jenning氏によるブルースのセミナーが行われた。最初の方は聞き漏らしたが、Sonny Tellyの吹き方などを紹介しているところは聞けた。CDを何枚かもっていたりテレビで見たことがあったので関心を持っていたが、テクニックが凄いので、そのやり方を聞いて大変参考になった。
 次に副会長のWalter Buchigan氏による舌のリズム打ちのセミナー。要するにベース奏法の講義なのであるが、日本人、フィンランド人、ポーランド人などがベース打ちを行い興味深いので皆さんもぜひやってみて欲しいという内容。舌とハーモニカの位置関係には9パターンあり得るというのを図解して説明してくれた。また、かってコードモニカというのがあり、六種類のコードが出せると、曲を演奏してくれた。昔のカバーなどの部品は最早ないのだが、三十本以上を注文すればHoner社でリードを調律して作ってくれることを紹介し、余分があるから欲しい人は申し出てくれとのことであった。何人かが購入した。
 次は、Ben Hewlett氏のChuggingについて。これは申し訳ないが聞かなかったのか記憶にない。
 次はBrendan Power氏のアイルランド民族音楽。笛やバイオリンで弾くアイルランド独特の音楽をハーモニカで吹くのだが、装飾音符がなんとも多く、また音色も柔らかい音で、これをCDで聞いてもハーモニカと気づかないかもしれないなと感じた。
 面白いのはハーモニカのチューニングで、GかDの楽器を使うことが多いので、テンホールもクロマチックもそれらのキーのものを使う。F音をF#にしたり、クロマチックのC音が3ヶ所にもあるのが無駄で、どれかをBbに調律すると、F調の曲もボタンなしで吹けるなどといろいろな特殊チューニングの話をしてくれ、実演もしてくれた。調律したクロマチックが何本もあるのには驚いた。もちろんテンホールもたくさんあったがそれは普通のこと。後でCDを買いに行き、サインももらい、ついでにクロマチックの吹き方を教わったら、スライドや横ズラシを使った吹き方を私のクロマチックで吹いて見せてくれた。CDも通常12ポンドのところ10ポンドにまけてくれた。いい人だ。案外できそうなので、CDや楽譜を元に練習してみようと心に誓った。ガラ・コンサートでは彼の本番を聞いた。
 最後のセミナーは、John Bryan氏がボラ・ミネビッチとハーモニカ・ラスカルズの映画から編集したビデオ・テープを、Art Daane氏の解説で鑑賞するものであった。ラスカルズの演奏テープはいくつか持っているのであるが、それらがこんな映画の中で演じられていたのかと実に面白く、また、テクニックのすごさに驚いた。ペグ・オー・マイ・ハートのコードを三人ぐらいのコード奏者が同時に吹いていたり、グリッサンドでメローディを吹いたり、ギャグにのっとって小人で凄いテクニシャンのジョニー・プレオが蹴飛ばしたり走りまわったりする様にただただあきれるばかり。いままでラスカルズのことをほとんど知らなかったことがよくわかった。レオ・ダイアモンド(演出、編曲)、リチャード・ヘイマン、ジェリー・ムラッドなど私たちの世帯が知るビッグ・ネームはほとんどここに所属していたのだった。メンバーは二人だけ現存しているとのこと。誰かから、テープを販売しないのかとの質問が出たが(私も欲しい)、すべて著作権のある映画から編集しているので、これそのものを販売することはできないとのこと、残念。しかし、Amazon.comなど、インターネットの本屋でオリジナルの映画のテープを販売しているので、探して買いなさいとのことでまだ望みはある。

オーケストラの練習と本番

 一つは、こんなことは世界初めてなのだがとの注釈で、いろんな国の人がハーモニカ・オーケストラに参加してリハーサルを重ね、最終日に本番演奏するという。英国のJames Hughes氏の指揮で曲目はビートルズ・メドレー。何事も経験とばかり参加した。主力は、オーストリアのバンド・メンバー達だが英米仏、イスラエルなどのメンバーが見える。途中、スイングの指示の部分があり、若い坊や、お年寄りの人は何回やってもシンコペーションが間違っている。私は大学のハモソ出身なので、何の不都合もない。3日間、2時間ずつの練習で少しずつ仕上がって行くのは楽しみであったし、Jamesの指揮法からは学ぶ点も多かった。本番では、参加していない会場の人達から大きな拍手が沸き起こり、気分がよかった。
 もう一つは、Walter Buchinger氏のアコーディオン伴奏とともによく知られた世界のメロディをみんなで吹こうというオーケストラ。この人はドイツ語が母国語なので、英語はわかりやすくしゃべってくれる。最初は楽譜が配られたが、2度目はさぐり吹きの世界。やさしいメロディを次から次へと吹いて行く。コード奏者のAl Smith氏も伴奏に加わった。終了した後、日本の曲がなかったねと話し掛けると、オーストリアでは日本の曲は普及していないし、入手する手段もないのだとのこと。それならばと最終日の朝、「小さな日記」(私はよく自分の教室で使っており、コードまでわかるし、マイナーとメジャーが交錯するいい曲だと思う)を楽譜にして手渡し、模範演奏した。大変喜んでくれ、お礼に彼が教授をしているオーストリアのハーモニカ学校のビア・マグをくれた。これはいい記念になる。ひょっとすると、次回の世界大会に日本の曲として「小さな日記」が流れるなんていうこともあるかなとひそかに期待している。

ガラ・コンサート

 9月8日、9月9日の夜、ガラ・コンサートが開かれた。最初の夜は二部に分かれ、第一部は、オーストリアのラーキルヘン音楽学校のオーケストラ(30名ほど、ジュニア部門はこの人達のデュオ、トリオ、クインテットなどが出場)、スイスのハーモニカ・エンタテナーズ(横浜大会にも来ていたデュオ)、ミーテック・ボロコフスキー(横浜大会にも来ていた民族衣装に見をかためたポーランドのおじさん)、フランスのアレクサンドラ・トロン(19歳のプロ、クロマチックとテンホールを吹く、横浜大会のグランプリを取った人の弟子だそうだ、あれ、この人コンテストにも出ていた)、フォーインアコード(地元のカルテットらしい、スタッフとしても働いている)、ベンーヒューレット(地元のブルース・プレーヤらしい)、それに吉村さんの交渉のかいあって我が森本先生(「禁じられた遊び」と「トルコ行進曲」、分散和音をどうやるのだという質問と複音ハーモニカの切り替え技術に驚嘆する声多し、CDも売れた)。
 ガラ・コンサートの出演者がコンテストに応募しているのには何か釈然としないもがあったが、プロ野球選手がオリンピックに出るご時世だからよしとするか。休憩があって第二部は、ビエタ・コソウスカ・アンド・ザルブルース・バンド(若いポーランド女性テンホールズ・プレーヤを中心とするロック・バンド、彼女、美人で元気がいい、コンテストにも応募していたが、プロだというので審査対象外、しかし特別賞をもらっていた)、ジムヒューズ(臨時オーケストラの指揮者をやった人、クロマチックのルーマニアの曲が素晴らしかった)、ジャン・ラーブル(おなじみフランス人副会長、ホラ・スタッカートを軽々と吹く相当なテクニシャンだ)ペンティ・バルキーラ・アンド・クールフィンズ(フィンランド・グループ、この人達もコンテスト出場者だ、テンホールズでベースを入れて民族音楽をバリバリ吹く)、ブレンダン・パワー(アイルランド音楽をテンホールズ、クロマチックで吹く、セミナーの講師)。
 盛り沢山で、終了はなんと夜中の11時半。その後野菜スープとロールパンの夜食が出て、会場のウェイター、ウェイトレスがちゃんとサービスしてくれる。我々日本人はそれらを手に持ってホテルへ向かった。地元以外はホテルなのでこんなこともあり得るらしいが、日本ではちょっと無理な運営に思える。
 9月9日夜のガラ・コンサートはディナー・ショーである。会場の椅子が取り払われ、テーブルが持ちこまれる。参加者全員分の席が用意され、バフェ形式で料理を取りに行く。デザートも出る。オーストリア・グループは全員が民族衣装で盛装し、金髪女性がさらに美しく見える。それならばと当方も作務衣を着るとジム・ヒューズから大変喜ばれた。
 食後、オーストリアのラーキルヘン音楽学校のオーケストラからコンサートが始まった。昨夜とは曲を変えてくる。レパートリは随分多いようだ。お次は御大ラリー・アドラー。横浜から5年も経っているので、さらに衰えが目立つ。ラフマニノフの「ボカリーズ」では、バルブがリードにくっつく音がしてどうなることかと心配であった。しかし、最後の「ラプソディ・イン・ブルー」ではしっかりした演奏で驚かされた。介添えなしでは歩けない様子。終わるとすぐ車でロンドンに戻るとのことであった。9月20日にロンドンで一般向けリサイタルが行われるとのこと。
 次はハーモニカ・ホットショット。アメリカからのアル・スミスとジュディ・シンプソンのデュオは、いろんなハーモニカをとっかえひっかえ吹くコメディ・バンドで、それがまたなんともすごいハーモニカの腕なのである。次から次へとショーを繰り広げて行く。45分ほど続いた。長すぎるという意見もあったが、とにかく凄い技の連続であった。アルのコードの物凄い動きには、ただただ感服するばかり。ジュディのクロマチックも中々味のよいメロディを吹く。ギターのチューニング用のピッチパイプをバラバラにして手袋の指に1本ずつくっつけてある。どうするのかというと、一度に指2本分を吹けば2人で4音のきれいな和音が出るという。それでかなり難しい曲をきれいにこなした。脱帽。ジュディのバスを後で持たせてもらったら、片手で軽々と持てる。なんとリードプレートがアルミでできているそうである。あれで持ち曲のすべてかと聞いたら、とんでもない、2時間は大丈夫とのこと。日本に行ってみたいのでぜひ呼んでくれという。ひょっとして、2年後にアジア大会でお目にかかれるかもしれない。
 この後、例のポーランド美人のバンドがまた出てきた。都合3回出演したがさすがに衣装は全部変えてある。主催者より時間を気にしろというメッセージがあったので時計を見たら、もう12時近い。吹きまくりシャウトしまくり踊りまくっておおいに盛り上げてガラ・コンサートは終わった。連日の真夜中までの公演で見る方も疲れた。

ショップ

 エレキ・ハーモニカのショップがある。テンホールズのボディにコンデンサー・マイクが埋め込まれている。クロマチックに仕込んだのもあり、注文に応じるという。へリングの4オクターブを渡し150ポンド払うと、9月22日に我が家に届いた。
 となりではジェームス・ムーディ作曲のハーモニカ曲の楽譜を売っている。たくさんあり、どれを買っていいかわからないので、ジム・ヒューズ演奏のCDを買った。後で気に入ったものを注文することにしよう。
 さらにとなりではスズキ、へリング、トンボの各種ハーモニカ(ソプラノホルンがあった)といろいろなCDを売っている。ホーナーのPUCKという長さ6.5cmのテンホールズを見つけて買った。5ポンドとお土産に丁度いいのだが、製造中止とかで2本しか置いていない。CDも数枚買ったが、資金がつきてしまった。吉村さんや森本先生も買っているので、聞きたい方は相談するとよい。

国際交流

 イベントの合間やバーベキュー大会などで、みんながテーブルに座っている機会が何度もあった。今回はいろんなことをやってみようと思っていたので、後ろのオーストリア人グループのところへいってエーデルワイス、ローレライ、菩提樹、野バラなどを簾藤さんと一緒に吹いた。オーストリア人もハーモニカを取り出して一緒に吹き始める。言葉は通じなくても、音楽が共通語だ。次のテーブルにはイタリア人、フランス人、スイス人など。私が所属するトリオ・ハミングバードは世界各国のフォークダンス曲をレパートリとしている。タランテラなど乗りのいい曲を吹くと、イタリア人も合わせてくる。パリの空の下では、フランス人も参加。非常に盛り上がった。しかし、フィンランド曲などはわからず、フィンランド人グループにはあまり近付けなかった。
 ハーモニカ・グッズの売り場ができていてエレキ・ハーモニカなど展示即売している。ソプラノ・ホルンが並んでおり、オーストリア人が森本先生に吹き方を教わっている。そのうち、耳慣れた曲が流れてきた。なんと、「津軽海峡冬景色」ではないか。英国ウェールズ出身者が吹いている。あとでホテルから会場へいく途中一緒になったので聞いてみると、1995年横浜大会のときに発売されたCDから、ノーブランズの演奏を会長のJohnに採譜してもらったのだという。「スキヤキ(上を向いて歩こう)」に次ぐ、2曲目のワールド・ヒット曲誕生かも。
 最後の日は午前中で表彰式が終了し、午後はステージがフリー・ステージとして開放された。本来のスケジュールだともっとフリー・ステージがたくさんあるはずで、コンテスト曲以外に何曲か吹くはずであった日本人グループは物足りなさを感じていた。絶対何か吹こうねと前日から誓いあっていたので、早速吹き始めた。ほとんどの人達は帰ってしまい、観客は日本人だけという寂しさ。しかし、それぞれが吹いているうちに音が聞こえるため、ぽつぽつ観客が集まり始めた。イスラエルやイギリスのジュニア部門出場者が吹き始める、アメリカ人、ポーランド人奏者が吹き始めるなど盛り上がってきた。トリオも出始めた。PA関係者が退場してしまい伴奏がなくなったので、ふと思いついて楽譜をアメリカ人コード奏者のところへ持っていき、一緒にやってくれるかと頼むとOKという。こうして「二人でお酒を」を吹いた。サンキューを言って次にハーモニキャッツ・ナンバーの「センチメンタル・ジャーニ」を吹き始めると、楽譜もないのに彼が戻ってきてコードを付けてくれる。これは面白かった。

全体の感想

 応募時にフリー・ステージの出演を受け付けておきながら、その運営は一切なく、最後の日に勝手ににどうぞというのは残念だった。一位のみ発表してそれ以下には何も言及しないのも物足りなかった。などなど、運営全体はあまりしっかりしていなくて、日本人グループからの評判はよくない。
 しかし、私個人としては催しのほとんどに参加でき、思いきりハーモニカにひたったのでおおいに楽しめた。クロマチック、テンホールズ、コード、バスの高度な技を見聞きし、今後の自分の方向性を探る多大なる刺激を受けた。初めての海外遠征であったが、十分得るものがあったと満足している。また、資金と暇があれば参加したいものである。
 ところで、次のミレニアム・コンサートはいつか。それは、1000年後になるはずである。


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